2017年5月4日木曜日

< 僅かな亀裂から“土石流”? >

3/5付けで、こんな風に書き付けた、・・・
『・・・まことに「つまらぬ」事案で、・・・もしも、僅かな亀裂や異音を見過ごすとすれば、「死に体」に向かって「土石流」のように抗うことができない様相が出来するだろう!!?
事態の急変は、必ずしも、「本人の所為」のみから生ずるとは限らないのだ!!!
切るべきは切る、処置すべきは処置する、そうしなければ「数があるから」と「のらりくらり」していれば、その当てにしている内輪の当(党)の「数」自体が、ただただその「土石流」を見遣るだけで何もして呉れなくなるだろう!? 』
 
 その「党」内は異様といってよい、静かな様子に、部外者には見える。
「見守っている」のか、「機をみるべく様子を窺っているのか」、すでにただ「土石流」になるかもしれない動向を「見遣っている」のか。

 その友党は、なおさらダンマリである。それらは、自分の党に火の粉が降りかかってくるかもしれない事案に関わったりはしない、・・・それは当然にしても、「付くべき」か「見放すべき」かの「とき」をじっと観ている。・・しかし、それは実質「何もして呉れない」状態に等しいのかもしれない。

 野党の連中の薄笑いを浮かべた(本当にゲスとしか形容のしようのない貧相な顔相だ)喧噪ではなくて、自党と友党のなかの誰かの「一言」で動向が変化する可能\性を、想定すべきだ。・・・「人心」を測ることに長けた者も少なくないだろう。肝心な政策が進められる状況にあるのか否か、通すべき法案を推し進めることができる状態なのか否か、という本来の務めだけでなく。