2017年5月4日木曜日

< 熱狂と覚醒 >

 まだ何らの義務も拘束も、むろん成果も失敗も齎すことがまったくなく、一言「止めた」と言えばよいだけの(その限りでは、何の障害もなく交渉も不要の)事案であったTPPを真っ先に「やっつけて」みせて、自身の業績と見せ掛けたこと以外には、何物でもない、・・・so  far。でも、これは「右翼保守」連中(西部氏や馬淵氏を含む・・・彼らも自身が口にする「大衆」の一人に他ならない)と異なる「者」にとっては、素人であっても、想定内の事だったのではないか。

 まだ数か月経過したに過ぎない、・・・それを「これからだ」とみるか、「これまでか」とみるかは、各人さまざまだろうが、・・・ひとつ「間違いがない」と心しておくべきは、・・・彼らはアジアで何をする心算なのか?何もないのか?有るとすれば、それは何か?そして、「それ」を「しよう」とするのは一体どんな「理由」(むしろ、どんな「取引上の成算」と表\現した方が適切かもしれぬ)なのか?・・・これら、日本国の将来についての深甚な事案について、まったく何らの報道も情報もなく、何らの分析も、何らの議論も、何らの評論も、何らの研究も、マスメディアを介する限りでは、皆無で・・・要するに全くの「真空」状態で、米国ほかメディアに基づく“伝書鳩”報道・評論だけが伝えられ、たとえば「右翼保守」の連中からは、何らの分析も示さず「遠からず共産中国は破綻する、」「彼らが中国を抑え付けてくれる」「領土領海を守ってくれる」といった類のオシャベリの声が「放送」されている、・・・その間に、それらの声とは真逆の、アジアの至る所で既に何らの存在感も無くなっている姿だけが海外メディアにより「報道」されている(ように見受ける)。

 「覚悟」すべきは、アジアを米国が取り戻すことは「ない」し、「できない」。そんな「意志」がない事を、共産中国はすでに見越している、ということだ。・・・なぜだろうか?
 仮にそうした、課題を設定してみて、分析や解析を、経済的インセンティブに基づいてだろうが国際政治学、地政学に基づいてだろうが、なぜやってみせないのか?・・・「最高学府」を出て、評論にせよ学問にせよ役所高官にせよ、政治や経済を究めて来たのであれば。
 
「言論」を不特定多数の者に向けて発することができる者は、現実には限られているのだ、・・・「庶民」はそれを「真に受けず」ただただ「観て聞く」ことしかできないが、・・・得手勝手な淡い(藁にもすがるような思いに基づく)「期待」その他に基づいての放言は、バラエティ―\と思えばそれまでだが、・・人を惑わすものだ、・・・「事実」と根拠を示しての「分析」を指し示す、「報道」と真の学問や評論より外には、「庶民」にとって必要なものは他には何もないのだ。